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宮田祇園祭研究(2)祇園祭を楽しむ
宮田村の津島神社の祭礼は「祇園祭(ぎおんまつり)」である。その起源は明らかになっていないが、1836年(天保7年)の文書が発見されており、おおよそ190年は遡ることができる(❶参照)。毎年、7月の第3土曜日に「宵祭(よいまつり)」、翌日曜日に「本祭(ほんまつり)」が挙行される(*注1)。奇祭として知られる「宵祭」は、氏子中心の神事や神賑行事と、宮田村商工会中心の煙火大会(打ち上げ花火)等の出し物をまとめて、「宮田祇園祭」と総称されるのが一般的である(*注2)。 宮田村最大のイベントであり、歴史的な祭礼としては、上伊那地域最大級の賑わいを楽しむことができる。大正時代の日記に、「ずい分多くの人出にてなかなか大賑かなり」(*注3)、「例年の通り祇園祭にてなかなか賑わし」(*注4)との記載があり、古くから人々を魅了していたことがうかがえる。 「祇園祭(宵祭)」の主役は桧造りを基本とする「おみこし(大人神輿)」であり(❷参照)、真柱一本になるまで神社の石段で幾度も投げ落とし、叩きつける「打ち壊し」が行われる(❸参照)。いつから打ち壊しが始まったのかわかって
天野 早人
7月19日


宮田祇園祭研究(1)津島神社を知る
伊那街道(三州街道)宮田宿は、1593年(文禄2年)頃に萌芽し、1649年(慶安2年)頃に本格化したものと推測されている(*注1)。宿場町は、人・馬・物・情報・文化が行き交う玄関口であり、たびたび疫病が伝播することにもなった。また、間口が狭い家屋が密集する宿場町は火災に弱く、1662年(寛文2年)、1768年(明和5年)、1890年(明治23年)に大火の記録がある(*注2)。津島神社の前身である「天王社」は、宿場町の形成時または形成後に、除疫・防疫と火伏のため、宿場町(町割)の人々によって勧請されたと考えるのが自然であろう。 「天王社」は1776年(安永5年)以前に存在しており、おおよそ250年が経過しているのは間違いないが(❶参照)、勧請された時期の特定には至っていない。当初は、現在の「村人テラス」のあたりに建立されたが(❷参照)、1898年(明治29年)に「宮田学校」の跡地である現在地へ移転し(❸❹参照)、1930年(昭和5年)には隣接地を買収して境内が拡張された。その後、西向きの本殿は歓迎されないとのことで、民地の寄進を受け、1934年(昭
天野 早人
7月19日


2025宮田祇園祭へ出かけよう!
祇園祭にふさわしい梅雨明けです。2025年7月19日(土)は、宮田村の津島神社祇園祭の宵祭(通称、宮田祇園祭)が挙行されます。「おみこし」を真柱一本になるまで神社の石段で幾度も投げ落とし、叩きつける「打ち壊し」は、奇祭として知られています。歴史的な祭礼としては、上伊那地域最...
天野 早人
7月18日
宮田人
天野早人
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